5教科を学習する意義
今回は5教科(国語・算数、数学・理科・社会・英語)を学ぶ意義について、前職で学んだことと私が考えたことをまとめていきます。
タイトルに「学校で」と書かなかったのは、学校ではこういった考え方や学ぶ意味を教わってこなかったからです。
ですが、それぞれの科目には本来、学ぶに足る合理的な理由があります。
自分に子どもが生まれた時のために記す備忘録的な記事にはなりますが、子どもにものを教える人が少しでも読んでくれて、力のある子どもが増え、今より少しでも日本の未来が明るくなればいいなと思います。
国語を学ぶ意義
まずは日本で生きる上では欠かすことができない『国語』です。
皆さんは、国語の学習でどんな力が身に着くと思いますか。
いわゆる国語力、と言われる力ってどんなものなのでしょうか。
小学校に入ると、まず先生が読むひらがなを「聞く」、自分たちも同じように「読む」、鉛筆を持って「書く」というところから始まります。
そして次第にカタカナが入り、漢字が混ざってきて、文章読解へと進んでいきます。
一つずつ見ていきましょう。
聞く力
子どもが意味を知らない言葉を親のマネで話すように、最初の内は全て模倣から始まります。
これは書く力にも通じるところなのですが、模倣するためには情報を正しく認識する必要があります。
先生の話を「聞く」というのは、いわばその訓練になっているのです。
「あ」と聞いて「あ」という音を認識することが、学習へのファーストステップです。
これができないと、話を聞きながらメモを取ることに苦戦してしまいますからね。
ただ、聞いているだけではその情報を正しく認識できているかは分かりません。
だから、実際に声を出して読むことで、それが先生の音と同じなのか確かめるのです。
読む力
この力は、小学校低学年では音読で練習されることが多いと思います。
というのも、先ほど書いたように同じ音かどうか確かめることも必要な段階だからです。
私が前職で学習を教えていたのは、いわゆる発達障害という特性を抱えたお子さん達でした。
その中で特に苦戦していたのは「さ行」と「た行」の聞き分けです。
ここは苦手な子が多くいました。
例えば「すき」と聞いて「つき」と言ってしまうとかですね。
小学校低学年だと、舌が発達しきっていない場合もあり、一概に聞く能力や認識する力が弱いというわけではないのですが、自分で読んでいる音で書いてしまう場合もあるので注意が必要です。
そして、この「読む力」というのは「読解力」と言われるものとは違います。
これはただ書いてある通りに情報を認識する力です。
実際に社会で出てみると、いたるところに文字情報が溢れています。
駅の案内板に、建物や店の名前、商品名等々、これを避けて生きることはもはや不可能です。
私が高校まで過ごした田舎ですら、こういった情報は多くありました。
なので、書いてある通りに情報を受け取り認識する力は社会で生きていくために必要不可欠なのです。
書く力
これは、鉛筆を持って書く力です。
私はPCを使ってこのブログや小説を書いていますが、これとは全く別の力です。
鉛筆を持って書くというのは、情報として認識したものを出力する作業です。
このためには、正確な認知能力だけではなく運動能力や空間把握能力も必要になってきます。
例えば、認識した情報を書こうとしたときに、保育所に通っている子ども達では、まっすぐ線を引くことすら難しいでしょう。
鉛筆を細かく操作するというのは、実はそれだけで高等なテクニックなのです。
見本と同じようにまっすぐ線が引けるだけでも金メダル級です。
この運動能力が身についてくると、次は空間把握能力。
つまり、字の大きさやバランスの調整です。
これまでは自分の好きなように書いていたけれど、小学校の課題では枠があったり、大きさが指定されていることもあるでしょう。
これに合わせて大きさを調整できるようになってくると、感情のコントロールも上手くなってきます。
「自分はこうしたい」という思いを抑えて、今しなければいけないことに向かう練習にもなっているんです。
こうしたところから、書く力というのはとても重要な意味を持っていることが分かります。
また、鉛筆等で実際に書くというのは、PCやスマホと違って、字の細かい形まで自分で思い出す必要があることから、脳機能の発達にも大いに寄与します。
最近では学校教育でもタブレットの利用が推進され、字を書く機会は昔と比べて減ってしまいました。
しかし、字を書くというのはそれだけで様々な力を伸ばすことができるトレーニングなのです。
「ひらがな」と「カタカナ」
小学校1年生の最初の学習はひらがな、次にカタカナに入ります。
ひらがなとカタカナ、基本のルールは同じですが、字形が異なっていたり、長音(”ケーキ”等に出てくる伸ばす棒)が登場したりと、細かな違いがあります。
特にこの長音は初めて学ぶときに躓きがちなポイントです。
理論的なことを言うと、母音が重なった時に2番目の母音が長音に変化するというところでしょうか。
「けえき」が「ケーキ」になったり、「どおなつ」が「ドーナツ」になるという感じですね。
ですが、理論では分かりづらいので、子どもに教えてあげるときには長音の部分を京都銀行のCMくらい伸ばしてあげるのがいいでしょう。
また、学習が進んでいくと、ひらがなで書かれた文章の中でカタカナに直せる部分を書き直すという問題が出てきます。
こうした中で身についていくのは、新しいルールへの適応力と思考力です。
カタカナを使う言葉は外来語か和製英語です。
しかし、まだ6歳の子どもには、こんなルールは分かりません。
なので、学校の授業や宿題の中で繰り返しトレーニングをして、あるいは本を読んだり親と話す中でこの微妙な違いを学んでいくのです。
人は成長するにつれて、様々な社会のルールを知っていきます。
家の中でのルール、学校でのルール、社会でのルール、地域でのルール、日本でのルール、世界でのルール。
これらは全て同じではありません。
ですが、そのルールをどれか1つでも破ってしまうと、罰を受けることになります。
似ているけど違うルールがあるということを受け入れて、それに適応していくトレーニング。
それがこのひらがなとカタカナの学習です。
ひらがなやカタカナは、大人にとっては簡単な単元なので、こんなところはスラスラ進めて欲しいと思うところかもしれませんが、子ども達にとっては、新しく世界を広げる第一歩なのです。
漢字
漢字を学ぶ表面的な意味としては、基本的な読み書きの力を習得できるというところにあります。
では、学校で書き順を厳しく言われるのはなぜでしょう。
書き順を覚えていなくても、読み書きをすることは可能です。
書き順通りに書いたからといって、綺麗な字が書けるわけではありません。
達筆な人だとあえて崩した字を書いたりすることもありますね。
こう聞くと書き順を意識する必要など無いようにも感じますが、実は書き順を守る大きなメリットがあります。
一つ目は、ルールを守るための規範意識が育つことです。
書き順は自分で決めた物でも、ましてや先生が勝手に決めた物でもありません。
つまり、大昔から決まっているルールなのです。
漢字の書き順を守ることは、そういった基本的なルールを守る意識の基礎に繋がります。
もう一つは、先読みの力が身に着くということです。
これは書き順だけでなく、字の大きさ等も含めて意識して枠の中に見本と同じ字を書こうとしたときに身に着きます。
例えば「書」という字を書くときに、何も考えずに上部分を大きく書きすぎると、「日」が小さくなったり枠に入らなかったりします。
これをうまく収めるためには、枠の大きさを把握し、どこから書き始めるか、どの大きさで書くかを考えながら書く必要があります。
計画を立てて取り組む力は社会に出てからも必要になってくるので、こういったトレーニングは大切ですね。
文章読解
国語の醍醐味はやはり文章読解ですよね。
私は文章を読んで考えることが好きな子どもだったので、この単元は大好きでした。
最近では苦手意識を持つ子も増えている部分ですね。
文章読解で重要なのは、時間をかけて書いてあることを題材に考えることです。
ここが読解力の基礎にもなっていきます。
昨今の社会では、TwitterやLINEなどのSNSが発達して、ファストなコミュニケーションが重視される傾向にあります。
例えば、LINEではメッセージに既読が付くので、友達とのやり取りだと早く返さなきゃとなりがちです。
こうしたコミュニケーションの中では、相手の気持ちを考えたり、言葉を選ぶということが軽視されがちです。
文章読解は読む、考えるというスローな流れの中で、言葉の意味や登場人物の心情を把握しようとするためのトレーニングになります。
このトレーニングで身に着く読解力は、小説や説明文を読むだけの力ではありません。
人とのコミュニケーションの中でも文脈はあり、言葉を発するにはそれに伴った感情があります。
そういった裏側を把握することで、SNSでのトラブルや人間関係の不和を避けることができるのです。
まとめ
学校での勉強は点数を取ることに重点が置かれがちですが、実はそれ以上の力を獲得するチャンスでもあります。
漢字を学習する際に、ただ書くだけではなくて、形や大きさ、書き順を意識する。
文章読解をする際に、問題を解くだけではなくて、自分なりの考えを持ってみることも立派なトレーニングです。
残りの教科についても、社会で役に立たない科目はありません。
それを少しずつまとめていけたらと思いますので、投稿した際にはお付き合いいただけると幸いです。
今回も最後までお読みくださりありがとうございました。
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