「知ってる」ことは多いと思っていた
大学を出て社会人になり、現在25歳。
自分なりに考えることもできてきて、「知ってる」ことも増えたんだと思っていました。
改めてそれを考え直すきっかけになったのが、今回の転職活動です。
私は福祉業界から出て、未経験のIT業界で転職先を探しています。
それもあり、思い通りに進まずもどかしい思いもしてきました。
そんな中で担当エージェントさんから言われた言葉が、「この志望動機はちゃんとご自身の中で腑に落ちて言ってますか?」「もう少し深掘りしていきましょう」でした。
私は考えることは得意だと思っていたし、社会のこともある程度知っていると思っていました。
しかし、IT業界について調べる中で、普段何気なく知った気になっていたものが、実は全然違う意味だったり、説明の中に出てくる言葉を知らなかったり、あまりに無知だったと思い知りました。
自分ができないことを知ることは苦痛です。
ですが、あまりにできないといっそ清々しい気分にもなってきます。
新しい知識を貪る時間は心地よく、気づけばあと2時間もすれば日が昇りそうな時間まで、調べ続けていました。
「無知の知」という言葉は知っていましたし、心掛けてはいたつもりです。
しかし、生きていく中でどこか傲慢になっていたようです。
「知る」は難しい
昨今、インターネットの発展により、誰でも知りたい情報にアクセスすることができます。
また、SNSではあらゆる情報が自動的に流れてくるので、それを見ているとまるでなんでも知っているかのような気分になってきます。
しかし、特別に興味がない情報に関しては精査をしたり調べなおしたりすることはないでしょう。
そんなことに時間を割くほど、現代は余裕がないからです。
自分の趣味に関する情報を得るために、あるいは仕事や学業に関する情報を得るために時間を割くのが自然です。
あえて興味もないことに対して時間を割こうとは誰も思わないでしょう。
だからこそ、浅い知識に関しては無知同然だと思っておく必要があるのだと、私は考えます。
「知っている」と思うと人は傲慢になり、アドバイスや新しい情報が入りづらくなります。
「知る」ことは簡単ではないけれど、しっかりと調べて知識を得ることは、自分の生きる世界の解像度を上げることに繋がります。
今回のブログでは自戒を込めて、気づきをまとめました。
同じように、何かうまくいかない。
思い通りに進まないと思っている人へのヒントになればと思います。
今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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