「感謝」について考えたこと

言葉

「感謝」とは

 「感謝」という言葉は、辞書的な意味で言うと「ありがたく思ってお礼をすること」あたりになるかと思います。あるいは「ありがたいと感じること」なんかも含まれるかもしれません。

 どちらにしてもポジティブな意味ですね。

 ただ不思議なのが、「感」という字にも「謝」という字にも単体だとポジティブなイメージは持ちません。「謝」に関しては「謝る」や「謝罪」など、どちらかというとネガティブなイメージすらあります。

 じゃあなぜ、2つが混ざるとポジティブな言葉になるのでしょう。

 私は日本語や漢字の専門家ではないので、正確なことは分かりません。

 ですが、「謝」つまり申し訳ない、悪いことしたなと「感じる」ことが「感謝」の本質ではないかと私は思うのです。
 これはなにか敵意や害意を持って相手を傷つけるとかでは無く、自分のために手間を取らせて申し訳ないみたいな場面が一番しっくりきます。

 例えば、仕事のミスをフォローしてもらった時や、何か分からないことを教えてもらった時、店員さんが接客してくれた時なんかが当てはまりますね。

 こういう時、日本人の中には「すいません」と思わず言っちゃう人がいることからも、あながち的外れではないんじゃないかと思います。

 私は社会人になってからもしばらく、「ありがとう」と言うことが「感謝」なんだと思っていましたが、「感謝」自体には言葉は必要なかったんだと最近気づきました。

 日々生きていく中で、自分はたくさんの人の世話になっていると「感じ」、申し訳ないと「謝意」を抱き、何か少しでも返したい、あるいはよく生きて報いたいと思うことが「感謝」なんです。
 言い切りましたが、あくまでも私の中では、という意味です。

「ありがとう」

 それでもやっぱり自分の感じた思いを伝えるためには言葉が必要で、感謝には「ありがとう」という言葉が使われています。

 普段はそこまで意識しないのですが、人生上手くいかないなと感じた時に、本来の「がた」という漢字を思い出すのです。これはあるのが当たり前ではないという意味です。

 何気なく過ごしているとそこにあって当たり前のものも、ふとした時に当たり前ではないと気づきます。多くの場合はそれを失ってから気づくことが多いでしょう。

 例えば、家族、友人、お金、信頼、仕事。あって当たり前ではないものばかりです。

 親や親類も寿命や病気、事故でいなくなってしまう可能性がある。友人はもっと脆くて、つながりを維持したいと互いが思えなければ簡単に切れてしまう。お金は湯水のようには湧かないので、得るにも貯めるにも努力が必要です。信頼はお金以上に得難いものかもしれません。仕事は、私はできれば楽に生きていたいですがもらえるだけ幸せなことです。

 だから、こういったものがなくなる可能性があると知れば、人は少しだけ注意深く生きるでしょう。
 でも大抵は数日、よくて数週間です。思いや感情というものは記憶以上に消えやすいもの。常に薪をくべて燃やし続けないといけません。

 私たちの日常は「有り難い」ことなんです。
 時には感情的に受け入れがたいこと、不平不満を言いたいこともあるのが人生です。

 そういった状況に全て真正面から対抗することは無いでしょう。
 ですが、ある時ふと振り返って、「これは無くしたくないな」と思ったら、今日一日だけでもその人、あるいはものに気持ち多めに「ありがとう」と伝えましょう。

 次の朝目が覚めたら、洗面台の鏡の前で、昨日頑張った自分に「ありがとう」と言ってあげましょう。

 そうすれば大抵、人生何とかなります。
 かくいう私も、転職活動がうまくいかなくて投げ出しそうになっていましたが、それをもう一度立ち上がらせてくれたのがそうやって繋いできた妻や友人、エージェントさんです。

 人は失って初めて大切さに気付く。
 でも、失った人を見て気づいてもいい。

 あんな風にはなりたくない、でもいいんです。人生は波乱万丈ドラマチックじゃなくてもいいんだから。

 今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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